Article on Butch Robins

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ブッチ・ロビンス来日

   

ムーンシャイナー 2005年12月号より転載







ブッチロビンス来日


文:稲葉 和裕


 「私は、ただのバンジョー・プレイヤーだ」、とブッチ・ロビンスは自らを表現する。
 ミュージシャン、レコーディング・アーティスト、プロデューサー、作家として生きてきたブッチが「ただ(一介)のバンジョ−・プレイヤー」だけなのだろうか…?
10年ぶりに来日するブッチ・ロビンスが楽しみである。



クラウン・ロイヤル

 今年10月末にナッシュヴィルで開催されたIBMAでブッチに再会することができた。彼は、メイン・ホテルの最上階、セキュリティー・キーが必要なスイートルームで、『アンクル・ブッチーのバー、ブティックと形而上学の学習センター』という怪しげなタイトルを掲げ、部屋を一部のミュージシャン、ファン、友人たちに開放していた。リビング・ルームでは、デヴィッド・グリアのギターに、マイク・コンプトン、ローランド・ホワイト、トニー・ウイリアムソン、秋元慎氏らのマンドリン、ボブ・カーリンのバンジョーなどのジャム・セッションが連日、朝まで繰り広げられていた。余談ながら最終日深夜、ギリアン・ウェルチとデヴィッド・ローリングスにアンクル・アールらも加わったジャムは格別だったとの目撃情報もある。
 「テネシー州議事堂を見下ろす高層ホテルの一室で、最高の音楽が演奏されているんだ」と誇らしげな表情を浮かべて、ベッドルームのテレビ・ユニットの裏に隠した彼が大好きなカナディアン・ウイスキー「クラウン・ロイヤル」を私のグラスになみなみと注いだ。
 ブッチとの出会いは'90年代初頭、ムーンシャイナーのインタビューを皮切りに、私のアルバム『Goin' Across the Sea』(Hay Holler Harvest CD-104)の録音、3回の来日ツアーを通して、ビル・モンローやブルーグラス、ミュージシャンであることやバンドについて多くのことを彼から学ぶことができた。
 '92年の冬、元ロンサム・リバー・バンドのギタリスト、ティム・オースティンが経営するドゥービー・シェー・スタジオで行われたレコーディングは、「Eight More Miles To Louisville」、「Six White Horses」と「Down In Caroline」の3曲を、ボビー・ヒックス、ハーシャル・サイズモア、ロニー・シンプキンスらと行った。「Eight More Miles To Louisville」では、ブッチは、バンジョーの間奏をメロディック・スタイルで弾くために何度も練習を繰り返していた。また、「Down In Caroline」では、うまくタイミングをつかめず、「俺には、この曲は弾けないかもしれない」と不安な言葉も口にしたが、一旦、タイミングを飲み込むと、ブッチの確実な右手のロールで引き出されるオリジナルRB-4のゴールデン・トーンで見事なバンジョーを披露してくれた。
 ツアーの移動中の新幹線や車の中では、リズムの大切さや、ブルー・グラス・ボーイズ在籍中の体験談など興味深い話しをたくさん聞くことができた。




レオン・ラッセル

 '93年の初来日時に、ブッチの友人であるロック歌手、レオン・ラッセルが偶然にも我々と同じ日程で日本中をツアーしていた。ちょうど、大阪、東京、札幌の日程が重なり、ブッチは、それらの日程でレオンのコンサートにゲスト出演さえもした。
 レオンの札幌公演が終わり、翌日、アメリカに帰国するバンド・メンバーたちをブッチは、カラオケに誘った。カラオケを彼らに歌わせ、日本での一時の娯楽を体験させたかったからだ。カラオケの後、彼らの宿泊する一流ホテルに場所を移し、ホテルのラウンジでさらに閉店まで飲んだ。
 最後には、部屋にまっすぐ歩いて帰れるメンバーはいなくなっていた。私は、ブッチの意向通り、帰りのタクシー代だけを残して、飲み代を支払った。私はブッチに「どうしてあそこまで飲ませたのか?」と尋ねた。「訳の分からないヴァージニアのバンジョー弾きが、日本で俺たちをひどい二日酔いにさせた、と印象づけたかったのさ」と彼は答えた。ちなみに、賢明なレオンは、この飲み会には顔を出さなかった。


ブルー・グラス・ボーイ

 '95年にヘイ・ホラー・レコードからリリースされたブッチのソロ・アルバム『Grounded・Centered・Focused』(Hay Holler Harvest CD-108)では、師匠であるビル・モンローにもレコーディングに参加、ブッチにとってひとつの夢が実現した(本誌1995年4月号に日記を寄稿している)。生前、モンローは、自宅でこのアルバムを気に入ってよく聴いていて、「ブルーグラスは、こういう風に演奏されるべきだ」と評したそうで、ブッチがひどく喜んでいた。
 ブルー・グラス・ボーイズ在籍中の数年間、ブッチは、モンローから演奏に対して褒められたことがなかったそうだ。むしろ、厳しい扱いを受けたと語る。ブルー・グラス・ボ−イズのメンバーが頻繁に入れ替わる理由が見えてくる。多くのブルー・グラス・ボーイたちが、そういう環境のなかで、ブルーグラスを学んでいったのである。


モンローとブッチ

 ブッチも円満にブルー・グラス・ボーイズを退団したわけではなかった。モンローとのわだかまりが生じた。1981年に発表されたモンローのインストゥルメンタル名盤『Master of Bluegrass』のブッチのバンジョー・ブレイクを聴くと、当時のモンローとブッチの確執が如実に残されている。
 このモンローとブッチの不和は、その後7年ほど続くことになる。そして、ある日、ヴァージニア州マクルアのラルフ・スタンレーが主催するブルーグラス・フェスのバック・ステージでモンローとブッチが魔法の時間を共有することになる。「もう、そろそろだな」というモンローの一言が彼らの数年の時の壁を打ち壊した。数時間、モンローは、ブッチのためにマンドリンを弾き続けたという。
 '96年、ブッチ唯一のヒーロー、ビル・モンローが他界した後、彼は音楽への目的を失ってしまった。考えれば考えるほど、目標が見えず、おのずとミュージック・シーンから遠のいて行くことになった。

 今年の5月、ミシシッピーに向かう直前の彼が、ナッシュヴィルのホテルに滞在している私を訪ねてくれた。私は朝食を摂りながら、コーヒーを片手に生き生きと近況や将来のことを話し続けているブッチを見るが嬉しかった。この10年間、様々なことを考えたそうだ。そして、考えすぎたのだろう。ある日、ブッチが尊敬するギタリスト、デヴィッド・グリアの一言で踏ん切りがついたと言う。「黙って、バンジョーを弾けばいいんだ!」。
 バンジョーという楽器を卓越した技術と理論で表現するブッチの幅広い音楽性や柔軟性を、トニー・トリシュカは、敬意を込めて「音楽的なカメレオン」と呼ぶ。ブッチは、自らを、音楽を学ぶ生徒、そして、情報、知識、知恵の探求者と信じている。
 残念なことに、モンロー亡き後、ブッチをバンジョー・プレイヤーとして自分のバンドに雇える人はいないだろう。彼自身もまた、バンドを結成し、維持することもしないであろう。しかし、モンローから学んだ音楽を実践できるアーティストとして、その真髄を機会あるごとに我々に伝授して、さらなる活躍をしてほしいと願う。
 まさに旅するバンジョイスト、ブッチ・ロビンスの今を、是非、体験していただきたい。




ブッチ・ロビンス来日!!

 ブッチ・ロビンスが久々に来日する。今月25日で84回、7年間に渡って毎月『ブルーグラス・ランブル』コンサートを主宰しつづけるブルーグラス・シンガー、稲葉和裕が毎年12月恒例にしているクリスマス・ツアーに、ブッチをゲストとして迎える。
 ブルーグラスの歴史を創ったふたつのバンド、ビル・モンローのブルー・グラス・ボーイズとニュー・グラス・リバイバルの双方にメンバーとして参加した唯一のミュージシャン、音楽のありかを探しつづける求道者、ブルーグラスを哲学するメンターとして、ブッチ・ロビンスは今年、われわれに何を語りかけてくれるのだろう…?


写真 小森谷信治

Special thanks to Saburo Watanabe
MOONSHINER
B.O.M. Service, Ltd.

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